オランダ人アーティスト、ノルベルト・フィデラーズによる「B.O.R.N.(ボーン)」の "身に纏うアート” としてのユニークピースを、フィールシーン銀座店、神戸店、オンラインストアにてご紹介しています。
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Norbert Fiddelers(ノルベルト・フィデラーズ)
1971年、オランダ生まれ
1990~1996年 Academie Beeldende Kunsten(オランダ、マーストリヒト)
1997年 Film and Television School(ベルギー、ブリュッセル)
「入学してすぐは、ドキュメンテーション、主に演劇、音楽コンサート、およびイベントに関連したビデオや映像作品、ファッションショーなど、カメラ関係の仕事や研究をしていました。
1999年、シッタード(オランダ)が私の最初のワークスペースになりました。プライベートスタジオを始めて以来、私の仕事はテキスタイルや生地の研究、そして応用芸術としての衣装や衣服の制作へと発展しました。
これらの着用可能な作品の実現には、その制作プロセスに従ったニードルワーク、プリント、ペイント、解体、そしてパターンの構築などのいくつかの工程が含まれます。
これらの着用可能な作品の実現には、その制作プロセスに従ったニードルワーク、プリント、ペイント、解体、そしてパターンの構築などのいくつかの工程が含まれます。
私の造形作品は、予想外の素材と色の組み合わせ、そしてグラフィックやイラストの要素が含まれることも多いです。私が生まれた村にちなんで名付けられた「B.O.R.N.(ボーン)」というブランド名のもと、ヨーロッパやアメリカ、中東、日本のセレクトショップとプロジェクトを展開しています。」
Norbert Fiddelers(ノルベルト・フィデラーズ)
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ノルベルト・フィデラーズによるブランド「ボーン」
村松孝尚
「帽子やスカーフといったファッションのアイテムをアートの視点から表現したのか?アートの表現が帽子やスカーフといったファッションのアイテムに表れたのか。」
B.O.R.N.ブランドの作家、Norbert Fiddelers(ノルベルト・フィデラーズ)はオランダを活動の拠点としている。私はB.O.R.N.を ニューヨーク で知り、その後何度か東京、福岡で個展またはポップアップで紹介してきました。
私としても、作家ノルベルトが創り出すB.O.R.N.という領域を、日本のファンのみなさんに再びどう見ていただくか、とても楽しみです。

FEELSEEN クリエイティブディレクター
村松 孝尚
村松 孝尚
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B.O.R.N. デザイナー、ノルベルト・フィデラーズへのインタビュー
Q :
ユニークな作品スタイルです。いつ頃、どんな風にB.O.R.N.という作品になっていったのですか?
ユニークな作品スタイルです。いつ頃、どんな風にB.O.R.N.という作品になっていったのですか?
A :
私が高校生だった頃、街にジミー・クリフ(ジャマイカ人レゲエ・シンガー)がやって来るというので、祖母にレゲエカラーのイエロー、グリーン、レッドの3色でセーターを編んでもらったんです。祖母は兄弟の分も編んでくれて、兄弟そろってコンサートに行くと、それをドイツのテレビ局が撮影しました。私がテレビに映って、そのセーターに注文が入ったんです。
私も高校生の頃からセーターを編んでいて、友達からの評判も良くて、売ったりもしていたけれど、この時はとても自分ではできなくて、「毛糸を買っておばあちゃんの所に行ってくれ」とお願いしました。
私も高校生の頃からセーターを編んでいて、友達からの評判も良くて、売ったりもしていたけれど、この時はとても自分ではできなくて、「毛糸を買っておばあちゃんの所に行ってくれ」とお願いしました。
この時の、”ものを作って、それがどうやって売れていくのか”というアプローチが、今のB.O.R.N.の基礎になっています。
その後、1990年から1996年の間、最初の2年はファッションの勉強をして、その後、ファインアートにのめり込んでいきました。卒業後はブリュッセルでフィルムメディアを学びました。
1997年、フォトグラファーとしてパリのファッションショー、トレードショーに関わることになり、「ワークショップ」という名前のトレードショーのオーナー、オートンシヤと出会いました。オートンシヤは時々ニューヨークでもトレードショーを開催していたので、私もニューヨークへ写真家として行きました。
ある時、オートンシヤは私が隠し持っていったファッションの作品を見つけて、トレードショーのテーブルの上にのせたのです。私の作品は瞬く間に売れて、評判となりました。その内のバイヤーの一人が、東京にショップを持っていたHanna(ハンナ)でした。
ある時、オートンシヤは私が隠し持っていったファッションの作品を見つけて、トレードショーのテーブルの上にのせたのです。私の作品は瞬く間に売れて、評判となりました。その内のバイヤーの一人が、東京にショップを持っていたHanna(ハンナ)でした。
私はニューヨークにフォトグラファーとして行ったのですが、ファッションデザイナーになってパリに帰って来ました。
そのニューヨークから10数年、私はファッションデザイナーとして働いています。その間、2001年9月11日の後、ニューヨークからレバノンに移りました。
2015年、私はもう疲れました。音楽を聴いて、美味しい食事と、馬と過ごす日々・・・(ちなみに馬の名前はウシ)
2021年、東京のギャラリーからの電話が鳴りました。「東京でショーをやりませんか?」それから、アムステルダムからの電話が鳴りました。「アムステルダムでショーをやりませんか?」
さて、私の母方の祖母はレゲエカラーのセーターを編んでくれた人で、リクエスト次第では何でもありの人。父方の祖母は仕立て屋で、何でもしっかり、きっちりと仕上げたい人。
この2人の影響によって、私のB.O.R.N.のスタイルができあがってきたと思います。
この2人の影響によって、私のB.O.R.N.のスタイルができあがってきたと思います。
Q :
ブランド名B.O.R.N.(ボーン)の由来は?
A :
ブランド名B.O.R.N.(ボーン)の由来は?
A :
オランダ南部にBORNという名前の都市があります、私が生まれ育ったところで、それにちなんだブランド名です。
Q :
ファンの方々へのメッセージはありますか?
A :
「ありがとう。」
「ありがとう。」
私の創った作品、私の作った服を大事に着てくれて本当にありがとう。自分の作品がどうあなたの身に纏われるのか、すごく楽しみです。私の服は、6歳から96歳まで楽しめます!それがB.O.R.N.です。
Q :
B.O.R.N.活動の目指すところは?
A :
比較的早くからファッション産業の不完全さは知っていて、リサイクル素材などを使うことで、自分にできることから取り組んできました。今後、もっとテキスタイルのリサイクルの研究を進めてみたいですし、同じマインドを持った人たちとのコラボレーションもしていきたいと思っています。
Q :
最後に一言。
A :
父が私にとって、私の才能を活かす最高のアシスタントです。
Interview/
Text_Matsunoichi gallery
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